私の大好きな本に『絹篩』(秋田叢書 第二巻) 鈴木重孝 著が
あります。
絹篩(きぬぶるい)とは絹の目のように細かく調べたという意味の様で、
時嘉永壬子暦(1852年)男鹿のことが詳しく書かれています。
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【古記】涌本村
支郷芦野倉村高なし、※塩竈を業とす。今なし。
そんな一文を見つけました。
※昔の漢字で塩という字だと思いますがIEMパットでは表示されなかった。
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船川村を超えて門前村の奥に脇本村の支郷芦野倉村があったと書かれています。
なぜここが脇本の支郷となっているのか?面白いと思いました。
脇本のお年寄りに聞きましたが、そんな話は聞いたことが無いとのことで、
門前の奥に脇本村の支郷がある事に詳しくわかる人はいませんでした。
でも、昭和40年頃まで、脇本本村の人達は「芦の倉」の山菜を朝早く起き、
船で取りに行った話を聞くことが出来ました。
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『絹篩』 比詰村にはこんな事が書かれています
この村は往古南磯芦倉村より引移開村したり云、故に大概本山の寺を
菩提處なり。
芦ノ倉に居宅并田地の迹トあり、島めくりのとき行て見る地なり。
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古い時代に芦の倉村より移転し村を開き、そのため本山のお寺(長楽寺)を
菩提寺としている、脇本村の支郷から、田中村など脇本村の支郷へ、
開村したことが考えられます。
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明治時代の前まで比詰、仁井山までが脇本でした。
嘉永年代の親郷脇元の寄郷。飯村、大倉、飯森、浦田、樽澤、百川、
比詰、仁井山、八ヶ村。
比詰村の支郷、田中村、羽立村
仁井山村の支郷、馬生目村、荷澤村となっています。
ところで、話は違いますが『絹篩』では、
船越村親郷の寄郷は、天王、大崎、拂戸、三ヶ村となっています。
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2020年3月、芦の倉の画像が欲しくて行きましたが、
芦の倉駐車場からは道がわからなく、引き返して来ました。
どなたかおわかり方、教えて下さい。
5月からは長い生き物が怖く、山へは入りません。
そして、2024年3月、ついに芦の倉に行って来ました。
駐車場から30分、なんとなく道と解るような所を30分、
憧れの探し続けた芦の倉に行って来ました。
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中世の曲輪のような所がたくさん、石垣と言ったらいいのか?
石を積んでいるところがいっぱい、
昔、人が住んでいた所と思う所があちこち。
「なまはげの里、秘境」誰も行かない神秘な大昔の村、
途中に川もあり、砂が粗い砂浜、大きな石がある海岸、
そこで聞こえた音は、石の音がする不思議な海岸?
なぜこんな音がするのか?
初めて聞く浪の音、秘境の海の音、ビデオ撮影して来ました。
後で浪の音をUPします。ご期待下さい。
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「芦の倉」
磯浜と砂浜があります。
途中には川があります。
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なまはげの里、秘境がありましらお知らせください。
いかげなごど書くな等、メールお待ちしています。
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